「慈悲によって行動しなければ、憎しみや怒りが暴走したときに、なすすべがなくなります。
憎しみや怒りは暴力の解決にはなりません。
それができるのは、思いやりと愛だけです。」
ティク・ナット・ハン著/怖れ
(”まわりの世界に対する怖れを変容させる”より)
以前にもブログに書いた思い出ですが…
高校二年の秋、数学の先生に
「一人で生きることもできなくて
誰からも必要とされていなかったら、
いないほうがいいんじゃないかって思うけど、
それでもやっぱり生きていたほうがいいんですか?」
と授業が終わった直後に質問したことがあります。
『大山じい』という愛称で呼ばれていた先生は、
数学の授業の合間に時々哲学的な話をする人で、
この日は
「人間はそれぞれに与えられた役割があって、
それを果たすべく 生かされている」
そんな話を授業の終わりに話していて
数学の授業の後でそんな質問をされることなんてそうそうなかったとは思いますが(^_^;)
「ふむ。お前、今日夕方、時間があったら
奥にあるビニールハウスに来ないか?
放課後はな、
わしはよくそこで花の世話をしておるから。
よかったら来なさい。」
と静かな口調でそれだけ言って、職員室へ戻っていきました。
当時私の母はアルコール依存症の専門病院に
2度目の再入院中で、
私は母方の実家の祖父と二人で暮らしていました。
この時はちょうど
祖父から母の入院費や保険料の話で
怒鳴られたばかりだったのですが
いつも自分の居場所がない、
私という存在は誰かに迷惑をかけるだけ・・・
そんな風に感じながら過ごしていました。
夕方になって校舎の裏のほうにあるビニールハウスに寄ると、
大山じいが花の脇にある草をとりながら
「良い考えが浮かばんときはなあ、
土いじりをしてみると、いいかもしれんぞ。」
と言います。
部活に行く途中だったので、そこ何本か草を抜いて終わりましたが
花を育て、愛でるということ、
何かや誰かのために尽くす作業こそが心を癒すということを、大山じいは知っていたのかな、と
今日ふと思い出しました。
「明日もまたおいで」と言われて、
翌日も同じように部活に行く前にビニールハウスへ寄り道すると、包みに入った本を手渡されました。
「今日はお前にこれを渡そうと思ってな。
この本、お前にあげるから
読んでみて。」
と そう言って。
部活が終わり
帰りのバスの中で包から開けてみたら
『逃げたらあかん』
という本が出てきます。
タイトルだけ読んで、一瞬くらくらしましたが、
石川洋さんというお坊さんが書いた詩集で、
なんだか心を突き動かされるような言葉が
たくさんそこには書いてありました。
”はじめてのあなたに
悲しいことが多いのは
自分のことしかわからないからだ。
つらいことが多いのは
感謝をしらないからだ。
苦しいことが多いのは
自分に甘えがあるからだ。”
”苦しいことは、誰だって逃げたい。
だが、逃げれば逃げるほど、
苦しみは追いかけてくる。
それが苦しみの正体である。
いっそ、苦しみの中に飛び込んでいったら、
苦しみは人生のどん底で
あたたかく抱きとめてくれるのである。
いたらない私は「一生失敗 一生感謝」
であることが心にしみる。
逃げられない恵みがあるからだ。
凡人だもの、泣きたかったら泣こう。
でも、涙だけは汚さないでおこうよ。
慰められるよりも、
慰める人に、生まれ変わるために。”
↑前書きの文章の一部抜粋ですが、
ここを読みながら
その時はいっぱい泣きました。
色々あったけれども、何年たっても忘れない、昔私が受け継いだ愛と慈しみの記憶です。
今日はオンラインで、ラリー先生とペギー先生のマインドフルネスのイベントがありました。
生理学的にも脳科学的にも、
”慈悲の実践は自分自身の心を癒す”
という先生のお話で、
昔の記憶がふと蘇りました。
人は何度でも、
また生まれ変われるような気がします。
思いやりと慈しみが、
人から人へ、世界へと繋がり広がって行きますように
これからレッスン
今日という日も大事に過ごしてきます(^-^)
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